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Blog – お知らせ・雑感など

形式と内容の再婚

ベン・シャーン展(神奈川県立近代美術館 葉山)について。
企画の構想は10年余り前らしいが、3.11を経験し、グローバリズムの荒波の中で多くの難題を世界中が抱えている今、彼の眼差しを振り返る機会を得られたのはグッドタイミングである。

1950-60年代、ファインアート(アヴァンギャルドではなく)以外にも、商業美術(デザイン)の分野を中心に、多くの日本の文化人達が彼の作品を愛で、影響を受けていた。そういえば、そんな名残りの一端は、私の記憶にも刻まれているように思う。
小学生の頃、教科書あるいは何かの雑誌で、あの特徴的な画面を時々目にした。むろん、名前など知らなかったが、誰が見ても彼と分かる絵だった。そう、あの絵は子どもにも親しみ深さを感じさせた。無意識のうちに自分でも同じくらいに描けそうな錯覚を覚えさせるほどに。内容はわからなくとも、目に優しいタッチやフォルムななのだ。多分、子ども心に、柳原良平のアンクル・トリスや、久里洋二、真鍋博などのイラストと同じ地平で視界に捉えていたのかもしれない。表面的に…。

次の記憶はだいぶ飛んで、多少なりとも専門的な見方で、絵画として観察できるようになった’70年代前半の受験生時代。色面的な画面構成の巧みさと、例の「線のふるえ」に惹き付けられ、様々な作品を画集で観察、分析したものだ。その頃でも、自分にだって簡単に描けそうな印象を抱いていた。が、実際はそういかなかった。近づけそうで近づけない世界。どうしたらあのような線とフォルムが生み出せるのか、結局わからなかった。
その頃から、既に彼の作品は時代の流れの中で、人々の視界から後退していた。そして徐々に私自身からも。

前欄で記した「池袋モンパルナス」ともつながるが、今回は、社会と芸術の関係を、自分に引きつけながら再考するのに良い機会だった。あらためて作品の内容(主題)面も含めて、じっくりとアプローチしてみた。
そこで再確認したのは、絵画(ポスターなども含む平面上での色と形の構成と言う広い意味)という形式と、そこに込められた内容(主題あるいは今風に言えばコンセプト)がきちんと表裏一体となって共存しているという当たり前のこと。
形式の新しさの追求に軸足が移っていた時代で野暮と受け取られかねない中、彼は同時代の社会問題に真摯な眼差しを向けながら、自分の内面の魂と対話し、形式と内容の両立という表現における基本中の基本を丁寧に探り続けた。そして両者の幸せな結びつきを果たすことに成功した。現在の視点から振り返れば、一度無理矢理引きはがされた夫婦を、何事もなかったように穏便に再婚させたかのように感じる。
例えば、あのドローイングを仔細に観察し、あらためて想像できたのは、本人の呼吸あるいは心拍のリズムと密接に関連している、ということ。あの線が醸し出す「ふるえ」の一つ一つ(目に見える形式)に彼の想い(目には見えない内容)が、祈りのように込められている。命のリズムとタッチのリズムが不即不離で一体化した画面である。
受験生時代、内容に深く立ち入ることをせず、形式的な表層だけを自分に取り入れようとしても無理だった事がよくわかる。うまく行かなくて当前だった。

こんな彼の一節がある。

人間や人間を取り巻く環境について、芸術が知り、かたちにするべきものはまだ多くある。こうした努力の積み重ねがヒューマニズムを復活させるだろう。完全な機械化と水素爆弾のこの時代に、私自身、この目標はもっとも重要だと感じている。 (1950年に出版された”Just What is Realism in Art?”の中の一節)

一瞬、素朴すぎるコメントと思われるが、彼自身の歩みはかなり複雑な経路をたどった。

…ユダヤ教徒でありながらキリスト教徒と結婚し、左翼組織に関わりながら左翼と反目し合い、社会派の具象画家と思われながら実は色彩とフォルムにおいてはむしろ抽象画に近しい… (中略) …社会問題を内部から抉り出すポスターを発表する一方で、絵画においては神話や哲学などへ傾倒… (中略) …様々な価値観が衝突する時代を生き抜く中で、より根源的な主題を探求した末の選択…  カタログ解説より)

晩年は、版画集『一行の詩のためには…リルケ「マルテの手記」より』のシンプルな作品へ至った。

 ‥ 一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞じらいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいてくるのが見える別離。 ‥

このリルケの一節も、なかなかいい。晩年のベン・シャーンが心引かれたのもうなずける。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

空いたスペース

今日が今年の始動日。

板橋区立美術館に『池袋モンパルナス展』を見に行く。別件で、再来年2014年に、当舘からある企画の相談を受けており、その事も兼ねて館長の安村さんや、企画担当の弘中さんにご挨拶。

展示は好企画だった。
1930年代~40年代にかけて、現在の池袋駅周辺一帯に建てられたアトリエ付き住宅や酒場に集った画家、詩人、評論家、演劇関係者たち。その中の一人である詩人の小熊秀雄が残した「池袋モンパルナス」という詩とエッセイにこの名称は由来する。
その多くが反骨精神に溢れ、いわゆる不逞の輩(ふていのやから)達。パリのモンマルトルとモンパルナスの対比と同様、高台にある上野の文化的権威に対し、西の窪地の池袋界隈という逆説的矜持がその命名にも現われている。このような形で文化的にクロスオーバーした地帯は、当時、世界的にも珍しかったという。

画家達の残した作品は、オリジナリティーや様式選択の一貫性を価値基準とする西欧モダニズムの視点から見れば確かに物足りない面もある。若い頃の見方だったら、靉光や松本竣介など一部の画家たちを別にすれば、多くの画家の、セザンヌ風やフォーヴ風、そしてシュールレアリズムなどを無節操に取り入れたかのようにみえる展開は、おかしいと感じたろう。というか、そう考えていた。
しかし、当時、極端に言えばフランスやイタリアなどの芸術大国以外の国々(アジアのみならずヨーロッパの周辺国も含め)では、そのような受容と自国の文化的状況の間で、芸術家達は皆同じように葛藤していた。日本だけの現象ではなかった。
だいぶ前に中欧や北欧諸国の美術館でその国々の近代美術の展開を見て以来、次第に考え方の幅は広がって行った。そのような周縁国の芸術家は、いわゆる西欧モダニズムのエリート主義に合わせる必要などないし、それぞれのやり方で模索、展開していた。それはそれで充分に魅力的だった。

さて、今日あらためて感じたのは、そのような様式の新しさや追求といったモダニズム史観の功罪よりも、彼らの当時の社会の中での芸術家としての生き方そのもの、そしてその精神的強さである。1930年代半ば以降、社会が暗い影に覆われた中、どれだけ自分達の創造性を発揮しようと踏ん張っていたかが作品や資料から感じられた。社会の風潮は、明らかに今の時代と重なる点が多い。閉塞感が漂い、階層化とそのひずみが露呈し、人々の心の中に漠然とした不安感が広がっている。
必然的に今の状況と比較し、そして自分を省みる。彼らの芸術に対する真摯な心性や、社会に対する発信意欲(どんなに制約を受けても)、時代精神に食い下がり芸術的想像力を掘り下げて行くエネルギーは、今よりも遥かに強かったのではないか? そして、個々がバラバラにならず切磋琢磨し、想像性を刺激し合い、互いに励まし合う共同体は、現在はどこにもないのではないか? そこに大いに見習うべき点はないか?

昨年来、日本にはある大きなスペースが空いたように感じる。そう、3.11が空けた大きなギャップ。そこに人々の新たなエネルギーを注ぎ込めるチャンスが来ていると考えてみよう。そのエネルギーの一端に自分の創造性を連ねてみよう。そう年頭に記しておく。前向きに。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

標準原器

キログラム原器の基準が変更されるという。

近代科学を支えてきた基本7単位〈SI基本単位・「長さ(m)」「質量(kg)」「時間(s)」「電流(A)」「温度(K)」「物質量(mol)」「光度(cd)」〉のうち、物質的人工物で定められていた最期の象徴「質量」も、今後、別の物理定数(例えば原子の数から)で導きだされる値に変更されることになる。
原器という言葉も、分銅(プラチナとイリジウムの合金)という物体と結びついていた訳で、この言葉そのものもいずれ消滅して行くのかもしれない。

この言葉から連想されるのは、やはり、M・デュシャンのこと。
彼は、20世紀初頭にアインシュタインの相対性理論が発した衝撃を、表現概念の問題としていち早く真剣に受け止め、それまでの近代芸術の概念、その世界観を再編成し相対化させることを試みた。

そう、レディ・メイドによる、オリジナルとコピーの問題や再制作の問題など、いまだに折々で議論の遡上にあげられるし、例の《3つの停止原器》からは、誤差とかズレを内包することで新しいものが生み出されること、表現における偶然と必然性の関係など、私自身も気になるテーマとして様々な示唆を受け続けている。デュシャンの問題提起は、現代物理における相対性理論のように、現在の芸術を考える上でも礎になっている。

そう言えば先日、光より速いニュートリノの観測データが話題になった。相対性理論は「光速度が一番速く不変」という「絶対的基準」の元で空間も時間も、相対的に変化して(歪んで)いくという理論な訳だが、ひよっとするとこの標準が崩れてしまうことになるのかもしれない。アインシュタインもいよいよニュートンと同じように古い器に追いやられてしまう?

ある意味、標準原器のような基準があることによって我々の世界観は、「相対性」を許容できているのかもしれない。科学上の思考において、光速度のような基準がもし崩れてしまったら、相対の底が抜けてしまう。全てが相対化したら、何も頼るもの支えるべきものが失われ、もう一度物理の標準理論の再構築が迫られる。
日常生活においても多分同じだ。深刻な打撃を被り、変化を余儀なくされるだろう。あくまでもデュシャンのような芸術概念の思考実験は、日常を逆照射する人間の想像力の中のことと言えるのかもしれない。現在の世界観は、いうまでもなく20世紀初頭の激動のように再び揺らぎ始めている。ギリシャ危機しかり。あれはドルやユーロの貨幣の基準の揺らぎから来ている。貨幣価値が相対化された現実の世界は、政治・経済の仕組みを根本的に変えていくことになるだろう。

ところで芸術は?
現在の芸術は、絶対化への個人的(あるいは超越的)希求ということよりも、多元的で錯綜した世界観を示唆する役割に軸足を置いている時代に在る。デュシャンが切り開いた地平の延長上。相対化された視点がさらに複雑に入り組みながら、現実や仮想の世界の中に溶融している。見る側、体験する側にとっては、それは意味ある作用をもたらす。
一方、生み出す側に立つと、美術では90年代以降の地殻変動が一巡りし、再び停滞期に入っているように私は感じる。世界を見渡しても、20-30代の若手アーティストの作品や活動は、グローバリズム経済の中で如何に姑息に生き延びて行くか、というようなものばかり。100年前の形骸化した印象派やキュビズムのエピゴーネン達がダブる。

このような相対性の底が抜け、均一化したアマルガム(異種融合したもの)ばかりが生み出されている逆説的状況で、出現が期待される次のデュシャンは、芸術をどのように再編成していくことになるのだろう。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

カリスマの死

スティーブ・ジョブスの死報に対する、世の中の過剰ともいえる反応にはちょっと驚いた。これほど多くの人が一人の実業家の死を悼むとは…。

私は、1998年の初代ボンダイブルーiMac以降のMacユーザーなのでコアなファンではない。(あ、その前に中古のPowerbook5300も少し使ったっけ。)そもそもPC全盛の先鞭をつけた彼やビル・ゲイツ達とは同世代だが、そっちにのめり込んだこともさほどなかった。ちなみに日本式の学年ではジョブズが1学年上、ビル・ゲイツは同学年に当たる。

同時代を生きて来たとは言え、特にスティーブ・ジョブズの言動を漏れ聞くたびに、日米の文化環境の彼我の差を感じることが多かったことは事実。そう言う意味では、私なりに彼の成したこと、考え方の意味や魅力はある程度理解しているつもりではある。ソニーやホンダ神話とは異質の、一人の男が成した浮き沈みの激しい、悲喜こもごもの人生物語も。

しかし、それでも世界中があんなに悲しむことなどちょっと考えられない。彼が単なる実業家ではなかったとしても、所詮、晩年は一人の独占資本家として振る舞っただけではないのか? という観点はぬぐい切れない。当初の反体制的な動きから、最期は貧富の拡大と国家の情報管理システムの強化の側に加担してしまい、人々を自由から遠ざけてしまった企業体のボスが招いた逆説。

なぜ、多くの人々はあそこまで無垢に彼の業績を讃えられるのだろう?
思うに、彼は人々のアイデンティティ、「私だけの、人とは違う自分でありたい」というささやかな欲求を満たす、換言すれば、人々の想像力の飛翔への幻想を掻き立てるカリスマとしてのアイコンを自作自演し続け、そのスタイルを売りつけるのが巧みな産業人だったのではないか。

「技術」や「思想」のコアな部分ではなく、メディアや文化産業の交通整理の役割を全うした人。そう言う意味では、優れて時代の先端を走りきった人物ではあった。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

メディア・リテラシー

日本のマス・メディアが、戦時中の「大本営発表」を垂れ流していた頃と同じ体質、ご都合主義の隠蔽体質を未だに変えていないことは、3.11以降の様相を振り返れば明らかだ。優先的に報道されるべき情報、例えば生命の安全に関わる重要情報が、隠蔽されたり軽んじられたりされることが頻繁に起きている。一方、ネットメディアでは、様々な表に出ない情報をいち早く発信するものの、玉石混淆の情報が混在させたままノーチェックで垂れ流される。

そして、我々は視界に入る情報の真偽を判断できず、現実にどうしたら良いかの判断を出来ないことに苛立つことになる。例えば、放射能汚染状況、被曝問題などの報道一つとってもしかり。原発推進派は情報を矮小化しがちするし、反対派は怪しげな情報を肥大化しがちにとらえる。そしてメディアは視聴者(オーディエンス)が食いつきやすいよう功名に偏向・歪曲化する。

もちろん、このような傾向は、ナチスのプロパガンダ、アメリカのベトナム報道や9.11以降の愛国主義偏重報道を思い起こすまでもなく、日本だけでなく世界中のメディアが抱える、一筋縄ではいかない問題ではある。

事実はどこにあるのか? どこにどう見出すのか? そして真実をどう探るべきなのか。
自らの足で全てを調べあげることが出来ないのだから、メディアを通じた情報収集は当然だし、不可欠である。

あらためて、そして今だからこそ、オーディエンス(情報の受け手)としての構え、メディア・リテラシーについて再確認しておきたい。以下は、1992年頃にカナダ(いち早くメディア・リテラシー教育を取り入れた)で発表された、そのキー・コンセプトの抜粋。

●メディアは全て構成されている
 メディアは現実そのものを示している訳ではない。
●メディアは「現実」を構成する
 現実に起きている出来事から取捨選択されている。
●オーディエンス(情報の受け手)がメディアを解釈し、意味を作りだす
 同じ情報から全ての人間が同じ反応を示すとは限らない。
●メディアは商業的意味を持つ
 メディア自体が商業化されており、オーディエンスはそのビジネスの消費者である。
●メディアはものの考え方(イデオロギー)や価値観を伝えている
 ふだん生活している社会構造を支えている理念が影響を与えている。
●メディアは社会的、政治的意味を持つ
 メディアそのものの社会的、政治的立場の色づけが施される。
●メディアは独自の様式、芸術生、技法、決まり、約束事を持つ
 コンテンツ(内容)以外に、それぞれ独自の伝え方のスタイルがあり、その約束事の元にある。
●メディアをクリティカルに読むことは、創造性を高め多様なコミュニケーションをつくりだす
 多くの人々が力をつけ、民主的な意思決定過程を強化していくことにつながる。

今読んでも、心に期すべき構えだと感じる。
私は微力ながら、1996年頃からしばらくの間、美術教育の中でこれを応用した授業をしたことがあった。ピュリツアー賞を獲得し、その後自殺したケヴィン・カーターの撮影した画像「ハゲワシと少女」と彼の自殺までのいきさつを教材に、イコノロジー解釈の一環で、「人はどのように画像を読み取り、解釈するのか、というテーマだった。その時の教材で使用したのが、上の抜粋である。

人は感情を揺さぶる大きな出来事に出くわすと、つい、この構えを見失い冷静に判断できなくなってしまう。時に、ナショナリズム、コマーシャリズム、あるいは巧妙な思想統制などが侵入してきて、性急な結論や安堵感を求めてしまう。それもまた、近代社会、資本主義、国民国家の構造の中では逃れられない人間の宿命なのだろうが、何かと手のかかる民主主義手続きを踏みながら真っ当な市民社会を築き上げて行く過程で、一市民が身につけるべきメディアと付き合う必要不可欠の態度と、自戒を込めておきたい。

もっとも、これはあくまでもマスメディアに対して。ネット内の無数小さな情報が反乱するようになった現在においては、このような悠長な構えだけでは通用しないことは確かだが。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

ゾーン

4月4日~5日にかけ、個人的で非常にささやかな被災地支援に行ってきました。その間、福島・仙台を少し見て来たので、その報告を少しさせて下さい。

福島(県)は、トリプルの災害(地震・津波・原発)に風評被害も加わり、四重苦状態といわれています。特に、原発20~30km圏(ゾーン)にある農耕地の様子にそれを感じました。

20km圏外スレスレの399号線を、いわきから車で北上したのですが、ふだんなら作付け作業等で多くの農家の方々が働いていらっしゃるはずの農耕地が全く無人なのです。もちろん、屋内退避・自主避難要請地域のせい。既にほとんどの人が退避しているようですが、残留していても県からの要請で畑を耕すこともできず、また当然のごとく野外に長時間出ていることも出来ない為です。一部の方々は家の中でじっとしているしかないのでしょう。

2時間近くの間、数台の車とすれ違っただけで、人の気配が全くありませんでした。動いている命は、野犬化したらしいペットだけでした。奇妙な静寂に支配された見かけだけは穏やかな農耕地が、延々と広がっていたのです。

仙台で垣間見た津波による被害状況も凄まじいものでしたが、復興に向けての動きは感じられました。
しかし、こちらは、天災と人災の本質的違いというか、全く異質の底知れぬ怖さを感じさせる風景が現実と化していたのです。そして、今や農家(土地)の苦悩は、そのまま漁業関係者(海)の苦悩にもなりつつあります。
仮にこのまま原発事故が収束に向かったとしても、福島の復興は非常に複雑な形で進行していく事にならざるを得ないでしょう。

ふと、S・クレーマーの「渚にて」とか、タルコフスキーの「ストーカー」のいくつかのシーンが、オーバーラップしました。こういう時でも、人間の想像力が作り出したイメージによって、現実を二重三重に再確認する、という逆転現象につい苦笑いが出てしまいましたが。

さて、この円形ゾーンは、みなさんご承知のように、たまたま設定されたに過ぎません。
今後、「ゾーン」をどのように捉え、想定するのか?
心理的には、すでに日本全体、あるいは世界そのものがゾーンと化しているかもしれないというシビアな現実を、あたふたしながら、滑稽に、かつ透徹した眼差しで見つめ続けなけれならないのだ、と私自身は感じた次第です。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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