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2012-01-19

形式と内容の再婚

ベン・シャーン展(神奈川県立近代美術館 葉山)について。
企画の構想は10年余り前らしいが、3.11を経験し、グローバリズムの荒波の中で多くの難題を世界中が抱えている今、彼の眼差しを振り返る機会を得られたのはグッドタイミングである。

1950-60年代、ファインアート(アヴァンギャルドではなく)以外にも、商業美術(デザイン)の分野を中心に、多くの日本の文化人達が彼の作品を愛で、影響を受けていた。そういえば、そんな名残りの一端は、私の記憶にも刻まれているように思う。
小学生の頃、教科書あるいは何かの雑誌で、あの特徴的な画面を時々目にした。むろん、名前など知らなかったが、誰が見ても彼と分かる絵だった。そう、あの絵は子どもにも親しみ深さを感じさせた。無意識のうちに自分でも同じくらいに描けそうな錯覚を覚えさせるほどに。内容はわからなくとも、目に優しいタッチやフォルムななのだ。多分、子ども心に、柳原良平のアンクル・トリスや、久里洋二、真鍋博などのイラストと同じ地平で視界に捉えていたのかもしれない。表面的に…。

次の記憶はだいぶ飛んで、多少なりとも専門的な見方で、絵画として観察できるようになった’70年代前半の受験生時代。色面的な画面構成の巧みさと、例の「線のふるえ」に惹き付けられ、様々な作品を画集で観察、分析したものだ。その頃でも、自分にだって簡単に描けそうな印象を抱いていた。が、実際はそういかなかった。近づけそうで近づけない世界。どうしたらあのような線とフォルムが生み出せるのか、結局わからなかった。
その頃から、既に彼の作品は時代の流れの中で、人々の視界から後退していた。そして徐々に私自身からも。

前欄で記した「池袋モンパルナス」ともつながるが、今回は、社会と芸術の関係を、自分に引きつけながら再考するのに良い機会だった。あらためて作品の内容(主題)面も含めて、じっくりとアプローチしてみた。
そこで再確認したのは、絵画(ポスターなども含む平面上での色と形の構成と言う広い意味)という形式と、そこに込められた内容(主題あるいは今風に言えばコンセプト)がきちんと表裏一体となって共存しているという当たり前のこと。
形式の新しさの追求に軸足が移っていた時代で野暮と受け取られかねない中、彼は同時代の社会問題に真摯な眼差しを向けながら、自分の内面の魂と対話し、形式と内容の両立という表現における基本中の基本を丁寧に探り続けた。そして両者の幸せな結びつきを果たすことに成功した。現在の視点から振り返れば、一度無理矢理引きはがされた夫婦を、何事もなかったように穏便に再婚させたかのように感じる。
例えば、あのドローイングを仔細に観察し、あらためて想像できたのは、本人の呼吸あるいは心拍のリズムと密接に関連している、ということ。あの線が醸し出す「ふるえ」の一つ一つ(目に見える形式)に彼の想い(目には見えない内容)が、祈りのように込められている。命のリズムとタッチのリズムが不即不離で一体化した画面である。
受験生時代、内容に深く立ち入ることをせず、形式的な表層だけを自分に取り入れようとしても無理だった事がよくわかる。うまく行かなくて当前だった。

こんな彼の一節がある。

人間や人間を取り巻く環境について、芸術が知り、かたちにするべきものはまだ多くある。こうした努力の積み重ねがヒューマニズムを復活させるだろう。完全な機械化と水素爆弾のこの時代に、私自身、この目標はもっとも重要だと感じている。 (1950年に出版された”Just What is Realism in Art?”の中の一節)

一瞬、素朴すぎるコメントと思われるが、彼自身の歩みはかなり複雑な経路をたどった。

…ユダヤ教徒でありながらキリスト教徒と結婚し、左翼組織に関わりながら左翼と反目し合い、社会派の具象画家と思われながら実は色彩とフォルムにおいてはむしろ抽象画に近しい… (中略) …社会問題を内部から抉り出すポスターを発表する一方で、絵画においては神話や哲学などへ傾倒… (中略) …様々な価値観が衝突する時代を生き抜く中で、より根源的な主題を探求した末の選択…  カタログ解説より)

晩年は、版画集『一行の詩のためには…リルケ「マルテの手記」より』のシンプルな作品へ至った。

 ‥ 一行の詩のためには、あまたの都市、あまたの人々、あまたの書物を見なければならぬ。あまたの禽獣を知らねばならぬ。空飛ぶ鳥の翼を感じなければならぬし、朝開く小さな草花のうなだれた羞じらいを究めねばならぬ。まだ知らぬ国々の道。思いがけぬ邂逅。遠くから近づいてくるのが見える別離。 ‥

このリルケの一節も、なかなかいい。晩年のベン・シャーンが心引かれたのもうなずける。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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