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2011-04-06

ゾーン

4月4日~5日にかけ、個人的で非常にささやかな被災地支援に行ってきました。その間、福島・仙台を少し見て来たので、その報告を少しさせて下さい。

福島(県)は、トリプルの災害(地震・津波・原発)に風評被害も加わり、四重苦状態といわれています。特に、原発20~30km圏(ゾーン)にある農耕地の様子にそれを感じました。

20km圏外スレスレの399号線を、いわきから車で北上したのですが、ふだんなら作付け作業等で多くの農家の方々が働いていらっしゃるはずの農耕地が全く無人なのです。もちろん、屋内退避・自主避難要請地域のせい。既にほとんどの人が退避しているようですが、残留していても県からの要請で畑を耕すこともできず、また当然のごとく野外に長時間出ていることも出来ない為です。一部の方々は家の中でじっとしているしかないのでしょう。

2時間近くの間、数台の車とすれ違っただけで、人の気配が全くありませんでした。動いている命は、野犬化したらしいペットだけでした。奇妙な静寂に支配された見かけだけは穏やかな農耕地が、延々と広がっていたのです。

仙台で垣間見た津波による被害状況も凄まじいものでしたが、復興に向けての動きは感じられました。
しかし、こちらは、天災と人災の本質的違いというか、全く異質の底知れぬ怖さを感じさせる風景が現実と化していたのです。そして、今や農家(土地)の苦悩は、そのまま漁業関係者(海)の苦悩にもなりつつあります。
仮にこのまま原発事故が収束に向かったとしても、福島の復興は非常に複雑な形で進行していく事にならざるを得ないでしょう。

ふと、S・クレーマーの「渚にて」とか、タルコフスキーの「ストーカー」のいくつかのシーンが、オーバーラップしました。こういう時でも、人間の想像力が作り出したイメージによって、現実を二重三重に再確認する、という逆転現象につい苦笑いが出てしまいましたが。

さて、この円形ゾーンは、みなさんご承知のように、たまたま設定されたに過ぎません。
今後、「ゾーン」をどのように捉え、想定するのか?
心理的には、すでに日本全体、あるいは世界そのものがゾーンと化しているかもしれないというシビアな現実を、あたふたしながら、滑稽に、かつ透徹した眼差しで見つめ続けなけれならないのだ、と私自身は感じた次第です。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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