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2010-05-11

記録の整理・するべきものとしないもの

最近、様々な活動記録の整理や保存の煩わしさと困難さに気をもむことが増えている。デジタル時代になっても、こういうものに関する便利さを享受することはあまりない。昨年、倉庫に保管している作品の一部を処分。今年の連休中はリフォーム準備もあり、家内に溜まった収納物の整理に着手した。

今回は自分の物もさることながら、6年前に他界した父親の遺品に手をつけた。既に、大まかに処分したのだが、保留にしていた物も多かった。特に戦時中の記録にまつわる物がそれなりにあったから。
父親は諜報関係の任務についていたこともあり、生前、その頃の事を息子に話すことはほとんどなかった。晩年、ポツポツと話しを聞いたこともあったが、没後、日誌や周辺記録を追いながら、ようやくどんな様子だったかおぼろげながら見えてきたのだった。

遺族としては、日誌などは遺しておきたいと思うが、書籍とか地図(特に配属地だった千島やソ連関係の)などは、歴史の客観的資料としての価値判断が私個人では難しい。いろいろ確認しながら迷い、迷いながら判断する。そんなことを繰り返しながら、つい当時の日本や父親の状況に思いを馳せてしまう。何しろ一世代の差とはいえ、全く異なる青春時代を生きたのだ。父親の20代は、生死の境で国家を背負って生きていた。その距離の隔たりに想像の幅も広がろうというものだ。

予想されたこととはいえ、あっという間に時間が過ぎてしまい、作業ははかどらない。結局、自分の物の整理も、「これらをいったい誰が検証するのか?」と生じた一抹の疑念とともに進まなかった。
多分、自ら整理してまとめ、不要な物は処分する事になるのだろうな。この最終的判断は直感的にするしかない。時間と気力があればだが。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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