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2009-02-23

人の記憶

アカデミー賞のニュースが流れたこの日、外国語映画賞を獲得した『おくりびと』をちょうど見たところだった。 全体的に巧くまとめられた作品だと思う。ユーモアあり涙あり。脚本も練られ、映像も音楽もオーソドックスで素直に見られる。
しかし、受賞までするとは意外で、ちょっとびっくりした。芸術性よりもTVドラマのような親しみやすさ、癒し系の内容が、世界や日本の人々の心の隙間を埋めるようにしみ込んだタイミングだったのだろうか。まあ、作品論はここでは述べまい。
見ながら、自分の両親の葬儀の折りの納棺や出棺の思い出が少しよぎった。そして、私自身が「おくられびと」になる場合はどうなることやらと…。

10年程前、父親の介護であくせくしていた頃、自分の生い立ちや、亡き母に対する記憶、自身の記憶が薄れ行く父に対する思いなどを素材にしたパフォーマンスを幾度か行った。私には珍しい「語り」を入れた、少し情緒的で物語的なパフォーマンス。
途中、観客にこう問いかける。
“Where do you want to die?”「あなたはどこで死にたいですか?」
彼ら彼女らは少し戸惑いながら答える。「砂漠」「生まれた街」…等々。

そして、いくつかの行為をはさんだ後、取り囲んだ観客に向かって、モニターにそれぞれの眼が大写しになるようにTVカメラと虫眼鏡を向け、次々に語りかける。
“Keep this Memory, please…” 「どうかこれを記憶して下さい…」

つい先日、自分の作品のDVD編集作業をしていて、このシリーズのパフォーマンスを久しぶりに振り返って見たばかりだった。

この日は、映画を見たその足で、ニパフ(NIPAF’09)東京公演の初日も見に行った。
その折、代表の霜田さんからベラルーシのアーティスト、ビクトール・ペトロフをたまたま紹介された。そしたらなんと11年前、ポーランドのフェスティバルでお互いに会っていて、私の先のパフォーマンスを見ていたと彼が即座に言うではないか。そして他の土地でも、私の資料(ビデオ?)を見たことをあるとも。こちらは彼の顔も名前もすっかり失念していた。
いやー、申し訳ない…。”Keep this Memory, please.” などと言っておきながら、当人が忘れているとは。あっ、でも私のささやかなパフォーマンスが、そのねらい通り、遠い異国の一人のアーティストにメモライズされていたわけだ。

記憶の移ろいやすさ、はかなさ、そしてかけがえなさとどう付き合っていくか?
客観的事実としての記憶(これは歴史学や生理学などの領域だ)の確認が、価値観の最上位に置かれることは社会的には大事だろう。しかし、個人的には、主観的確信や感情の中の記憶の揺らぎと、もっと上手に関わる術(すべ)を身につけていく必要性がますます増してきた。それは自分のアートの深い所でつながってくる問題でもある。

『おくりびと』では、石文(いしぶみ)という美しいエピソードで、その一つのあり方を示していた。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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