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2010-01-08

江戸の粋・明治の技

三井記念美術館で開催中の柴田是真(しばたぜしん)の展覧会のキャッチコピーだ。安村敏信さん(板橋区立美術館長でこの展覧会の監修もしている)から頂いたチケットで見てきた。こういう事がないと自ら出向くことは多分なかったかもしれない。

漆の技法の難しさはある程度理解はしていたつもりだが、安村さんの解説文を読みつつ、老眼でおぼつかない眼をじっと凝らして観察し、ようやくその超絶技巧の凄さがわかってきた。中でも漆絵の傑作の多くが70歳代以降のものなのに驚く。そして、あれだけの数をまとめて見られたことで、彼の多芸多才ぶりと徹底した意気地が伝わってくる。

あのような「技」に対する執着心は、日本人の身体的記憶の深くに刷り込まれていることが大いにあると思う。それは中小企業などの「モノ作り」の現場でも生き続けている。私の若い頃の制作意識では、あのような「技」だけにのめり込みがちな日本的気質を嫌った(自分の中にもそれがあるがゆえに)ものだが、最近は、純粋な眼に成りきって「モノ」と一体化してしまえるフェティッシュなその感性に対し、それなりに許容できる範囲も広くはなった。まあ、あくまでも鑑賞者としてだが…。

彼の生きた時代は幕末から明治にかけて。文明開化の過程で西洋から『芸術』を移入し、様々な軋轢や葛藤が生じたたこの時代に興味はつきない。それは、西周(にしあまね)が、“Art”や“Kunst”という語に対し『美術』という訳語を生み出し、近代の表現世界に日本人が足を踏み入れた時代だ。
とはいえ生涯の三分の二は江戸時代に掛かっている。同時代人の有名どころでは国芳、暁斎、芳年らがいるが、長生きした北斎ともかなりの年月が重なっている。そして高橋由一や生人形の松本喜三郎などとも時代を共有している。今の私たちが、近代人としての芸術家という一くくりの概念で当たり前にとらえてしまってはいけない人物たちだ。

彼は、もちろんその中でも職人気質(かたぎ)の最たる人物なのだが、逆に、単にそう言い切ることもできまい。「技」だけで語れない複雑な人格の持ち主だったように感じた。それは河鍋暁斎などにも感じる。特に、明治以降、社会的に自らのよって立つ基盤が根底からぐらつきながらも、その中で、個人的に確固たる矜持と技でもって生き抜いた強靭な精神力の持ち主だったであろうことは間違いない。それを時に、「粋」という言葉で言い表せるのかもしれないが、九鬼周造的な「いき」だけでは括(くく)れぬもっとドロドロした何かがある。

近代を相対化できるようになった今の時代(ポストモダンのブームも遥かに過ぎた)だからこそ、その何かを再発見し、うすうす理解できるようになってきたのだと思う。この日の観客の多さと熱心さは、その現れの一つのような気がした。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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