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Blog – お知らせ・雑感など

ウィルスの旅

新型インフルエンザがいよいよ国内発生し、報道も何かと喧(かまびす)しくなっている。これまでの機内検疫などの水際対策に、半ばあきれ半ば容認しつつ、興味を持ってその推移を見てきた。現代の日本ではほとんど初めての事態だし。
「バタフライ効果」。わずかな初期条件の変化が時間とともに拡大し、結果が大きく変わるというカオス理論で一時期はやった喩え。予測不可能な事態の推移を表現するのに相応しいこの言葉を久しぶりに思い出している。水際対策もそう言う意味では効果が全くなかったと判断するのは早計だろう。

ところで、こんな想像上の計算をしてみた。

仮に、今回のように、ヒトとトリの間で広まっていたインフルエンザウィルスが、メキシコのとある一匹の豚の体内で新型ウィルス A(H1N1)として変異を起こした瞬間があったとする。インフルエンザウィルスの大きさは、0.1マイクロメートル(1万分の1mm)程度らしい。その、遺伝子を変異させたウィルスが、ヒトへの感染を通じどのように世界中に広がっていったのか、その行程(不謹慎な言い方で言えば旅路というところか)について思いを巡らせてみる。
身長1.7mの人間は、ウィルスにとって1700万倍のサイズになる。これはヒトにとっての地球サイズよりも比率的に小さい。つまりウィルスにとってのヒトは、ヒトにとっての地球のサイズよりもはるかに大きな存在なのだ。そんな小さき存在だから、我々の必死の検疫や防疫対策などせせら笑うように世界中を巡る。マスクのフィルターなど、彼らが通り抜けるのには無いに等しい。
そして、この旅のスケールをヒトに例えると、ヒトが太陽系を一巡りするのと同じ距離感(海王星の軌道よりも7倍くらい先)となる。こんなにも軽々と移動する潜在力(旅する力?)、宿主を借りているとはいえ凄いではないか! 人類にこんな移動体(ロケット等)を作ったり利用したりする能力は勿論ない。

自分のワークショップで、時折このようなスケールの基準を変換した話題を取りあげる。
日常の生活感覚と異なる視点を獲得できることと、どれだけ日常にマーヴェラスな事柄が潜んでいるかが垣間みられるからだ。

「バタフライ効果」は、あくまでもほんの僅かな要素の組み合わせが将来において大きな影響を与えるという「(偶発的な)自然の変数」が対象にされている(のだと思う)。そこに「ヒトの意思」という変数(例えば感染したくないがための防護措置をとること)が導入される時、どのようにその後に波及されていくのかが興味深い。それは「ヒトの意思」も基本的に自然の変数の一要素に過ぎないものなのか、あるいは別のものとして設定するのか、その世界観によっても異なってくるだろう。無論、純粋に科学的な研究対象にはなりえない哲学的な興味に拠る。
そして、これはアート固有の問題にも関わってくる。そう言う意味で、この先の「ウィルスの旅」、感染の推移を私なりに追跡していきたい。(そう言えば、ウィルスとは生物の進化を誘発させてきたフィクサーであるという説もある。これも実に興味深い。なぜなら我々はウィルスの変異のおかげで存在していることになるから!)

私がもしハリウッドの映画監督かプロデューサーだったら、ウィルスを主人公にした「スタートレック」のような物語を構想するのだが。あるいは「ミクロの決死圏」のようなもの。(面白いアイデアがあるので誰か買いませんか? 売れる訳ないか。)まあ、次のワークショップのアイデアの一つとして暖めておくのが賢明か。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

相互監視社会

SMAPのメンバー・草○○氏が起こした事件の顛末(てんまつ)を考えるに、少々暗澹たる思いがわいてきた。本人のしたことは無論ほめられたことではないが、あれほどメディアがこぞって取りあげ大騒ぎする程のことだったのだろうか? 公然わいせつといっても深夜の誰も見ていない公園。甘いかもしれないが、駆けつけた警察官がその場で取りなし「まあまあ」と服を着せ、穏便に済ませるという普通の(と私は思うのだが…)対応になぜ至らなかったのだろう。いや、至れないのだろうか。

これは警察官個人の問題ではないだろう。明らかに今の社会のシステムの問題だ。警察官は通報を受けたら調書を取らなければならない。様々な犯罪を予防、阻止するのがシステムにおける彼らの役割だ。そして、メディアは鬼の首を取ったように過剰に報道し、ワイドショーのコメンテーターはしたり顔で正義感を振りかざす役割を果たす。

我々の社会(日本だけではない)は、「安全」とか「法令遵守」という名目の元に、それを問いかけるべき対象を峻別する能力を見失ってしまっているような気がする。そう言えば、いつの間にか街中に監視カメラが常在する事態にも慣れてしまった。システムの中で、ほとんどの市民はその相互監視社会における役割を忠実に遂行することに傾注させられてしまう。もちろん、私自身もそこからのがれることはできない。

誰からも後ろ指されることのないよう防御し行動することそのものが第一義となる。換言すれば、何か問題が生じた時、自分には問題がなかったと言い訳できるような事前の手続きに、過剰な時間とコストをかけなければならない。これは教育現場や企業社会をはじめとする様々な組織、私たちの日常生活にどっぷりと浸透してしまった。G・オーウェルの『1984』の社会を彷彿とさせられるが、今の現実の方は、小説のようにの縦(ピラミッド型)の権力構造からもたらされるのではなく、ネット社会と並走しながらグローバリゼーションやメディアという横(水平)の構造を備えている。そう、このシステムの底に誰かの悪意があるというわけではない。かえって質(たち)が悪い。
ああ、なんてつまらない社会、システムを許容してしまったのだろう。一方、自己を内省したり他者に対する想像力を広げたりする時間を失い、その能力がますます萎縮していく…。

4日のこの欄に書いた「安全・安心まちづくり条例」の件も連想しつつ、つらつらとそんな思いが頭を巡った一日。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

折り込まれる時間

先週、水戸芸術館でツェ・スーメイ展 (TSE SU-MEI ルクセンブルク出身) を見た折、『名人 – 川端康成に捧ぐ』という写真作品があった。前回のこの欄で書いた浦上玉堂の作品が、川端康成の愛蔵だったということもあり、そのタイトルを見た時、不思議な縁とタイミングを感じた。ふだん川端康成のことなど、全く気にしていなかったのだが…。
ツェ・スーメイの作品がとても魅力的で、彼女がインスピレーションを受けたという川端の『名人』を読んでみた。

囲碁の第21世本因坊秀哉名人の、昭和13年に行われた引退碁の実録小説。不敗の名人と呼ばれた秀哉が、死を賭して一手一手を打ち続ける。終局に向っていくにつれて織り成される心理的な文(あや)の描写が秀逸。囲碁に馴染みのない人にとっては、手順の説明などの表現が退屈かもしれないが、私には面白かった。

私は10代の時、肺結核で長期入院し、周りの大人たちから囲碁の手ほどきを受け、いろいろな関係書籍にもあたったことがある。40年近く過ぎた今はもうすっかりご無沙汰だが、ルールくらいは今でも覚えている。
そのシンプルな原理の中に潜む千変万化の世界は、素人目で見ても魅力的だ。純粋数学や抽象絵画の世界とも相通じる。
「三百六十有一路の中に、天地自然や人生の理法をふくむ」(同書より)とも言われる。

主に二つのことを感じた。
一つは、日本の近代以前の「芸道」としての伝統を引き継ぐ感性のあり方。
秀哉には勝負に徹しつつも、芸術作品として盤面を作っているという美意識が強烈にある。そこには特権とか狡猾さなど封建時代の遺物も半ば含まれている。西洋型の、公平を原則とし合理的な考え方で競うゲームやスポーツでは、いつの間にか置き去られた諸々のことがかろうじて遺されていた時代…。彼はその最後の時代に生きた。(現在のグローバリゼーションの奔流の中、文化的多様性と固有性ををいかに保持していくかの問題に関わるこのことについては書き出すときりがない。別の機会に譲る。)

もう一つは、時間に対する感覚。これが思いがけず刺激的だった。
この引退碁の対局者の持ち時間は、各40時間という今では考えられない長さだった。そしてこの一局の対局そのものが、名人の体調の不良もあり14回も打ち継がれ、打ち初めから終局までほぼ七ヶ月にもわたったという。
先の合理的な考え方からいえば、いかにも間延びした時間のようにしか思われない。が、そうではない別種の時間がこの間支配していたことを川端の小説は教えてくれる。細部の局面局面に様々な次元の異なる時間が折り込まれており、それを伸長するとこの時間になるのだった。

この感覚、実は作品を制作する者にとっては馴染みのあるものだ。
何もしていない時でも、作品の実現・完成につながる何かが孕まれている。あるいは、どんなに短いアクション、どんなに簡単に引かれた一本の線でも、そこに折り込まれた濃密な時間がある。

良い作品が生まれる条件の一つには、こんなことがある。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

人の記憶

アカデミー賞のニュースが流れたこの日、外国語映画賞を獲得した『おくりびと』をちょうど見たところだった。 全体的に巧くまとめられた作品だと思う。ユーモアあり涙あり。脚本も練られ、映像も音楽もオーソドックスで素直に見られる。
しかし、受賞までするとは意外で、ちょっとびっくりした。芸術性よりもTVドラマのような親しみやすさ、癒し系の内容が、世界や日本の人々の心の隙間を埋めるようにしみ込んだタイミングだったのだろうか。まあ、作品論はここでは述べまい。
見ながら、自分の両親の葬儀の折りの納棺や出棺の思い出が少しよぎった。そして、私自身が「おくられびと」になる場合はどうなることやらと…。

10年程前、父親の介護であくせくしていた頃、自分の生い立ちや、亡き母に対する記憶、自身の記憶が薄れ行く父に対する思いなどを素材にしたパフォーマンスを幾度か行った。私には珍しい「語り」を入れた、少し情緒的で物語的なパフォーマンス。
途中、観客にこう問いかける。
“Where do you want to die?”「あなたはどこで死にたいですか?」
彼ら彼女らは少し戸惑いながら答える。「砂漠」「生まれた街」…等々。

そして、いくつかの行為をはさんだ後、取り囲んだ観客に向かって、モニターにそれぞれの眼が大写しになるようにTVカメラと虫眼鏡を向け、次々に語りかける。
“Keep this Memory, please…” 「どうかこれを記憶して下さい…」

つい先日、自分の作品のDVD編集作業をしていて、このシリーズのパフォーマンスを久しぶりに振り返って見たばかりだった。

この日は、映画を見たその足で、ニパフ(NIPAF’09)東京公演の初日も見に行った。
その折、代表の霜田さんからベラルーシのアーティスト、ビクトール・ペトロフをたまたま紹介された。そしたらなんと11年前、ポーランドのフェスティバルでお互いに会っていて、私の先のパフォーマンスを見ていたと彼が即座に言うではないか。そして他の土地でも、私の資料(ビデオ?)を見たことをあるとも。こちらは彼の顔も名前もすっかり失念していた。
いやー、申し訳ない…。”Keep this Memory, please.” などと言っておきながら、当人が忘れているとは。あっ、でも私のささやかなパフォーマンスが、そのねらい通り、遠い異国の一人のアーティストにメモライズされていたわけだ。

記憶の移ろいやすさ、はかなさ、そしてかけがえなさとどう付き合っていくか?
客観的事実としての記憶(これは歴史学や生理学などの領域だ)の確認が、価値観の最上位に置かれることは社会的には大事だろう。しかし、個人的には、主観的確信や感情の中の記憶の揺らぎと、もっと上手に関わる術(すべ)を身につけていく必要性がますます増してきた。それは自分のアートの深い所でつながってくる問題でもある。

『おくりびと』では、石文(いしぶみ)という美しいエピソードで、その一つのあり方を示していた。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

スピーチ

村上春樹が周囲の様々な反対の声がある中、エルサレムでの授賞式に出席した。

自らの一挙手一投足が、善かれ悪しかれ政治的意味合いを帯びてしまう可能性がある立場、しかも、その妥当性を喧(かまびす)しく騒がれてしまう立場の者にとっては、悩ましい判断を迫られたことだろう。結果として、一人の表現者としての立場を全うしつつ、誠実で賢明な態度を貫いたと私には感じられた。

その時のスピーチ(英文)が公開されている。 ⇒ エルサレム賞受賞スピーチ “Always on the side of the egg”
この内容だったら行ったこと自体の是非は、是として受け止めて良いのではないだろうか。

壁と卵のメタファーが印象的だ。
バランスと抑制の利いた自己分析と状況把握を表明しつつ、卵をパレスティナの非武装市民になぞらえ、“I will always stand on the side of the egg.” (自分はいつも卵の側にいる)。さらに続けてもう一度、“I will stand with the egg”と率直に明言した。そして、単純な二項対立(イスラエル対パレスティナ)から離れ、“Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell.” (私たちひとり一人が多かれ少なかれ卵であり、唯一かけがえのない魂を抱えた壊れやすい殻に包まれた卵である)と、個人としての人間の尊厳性に向かう。
壁については、爆撃機、戦車などイスラエルの攻撃のメタファーであることを明確にしつつ、システムという、人類全体の組織が抱えるもっと大きな問題点へと敷衍していく。このシステムについては、抽象的で曖昧な言い方に留まっているが、文学者のメッセージとしてこれで充分だろう。政治的妥当性(PC=ポリティカル・コレクトネス)を厳格に主張するアクティビストには、中途半端で軟弱に感じられるかもしれないが。

彼の態度とそのメッセージ内容は、伝統的な文学者(芸術家)のスタンスを踏襲しており、決して目新しいものではない。以前、この欄でサルトルの問いかけについて書いたが、今回の村上のスピーチはそれに対する彼流の返答とも言えるだろう。
彼は現実社会と無関係に芸術至上主義を標榜している訳でもない。それなりに政治や思想の季節を密かに内面的に消化(つまり現実に対する無関心さや、PCに凝り固まった立場を止揚しつつ)した上で、今の時代にあるべきしなやかなポジションを獲得しているように思える。

そういえば、オバマ大統領の就任演説のスピーチも、政治家のものとしては決して悪くなかった。明快で、ある理想主義に裏打ちされていた。が、超大国の政治家としてのメッセージの限界も一方で感じた。(例えば、イスラムなど他宗教に対する配慮はあっても、ネイティブアメリカンの歴史にまで言及する視野はさすがに取れなかったようだ。自国の成り立ちの正当性を否定することになりかねないし。)当然のことながら、一国の指導者としての責任と義務の枠を逸脱するわけにはいかないのだろう。

村上春樹自身は、自分の態度が政治的色合いを帯びてしまうことは百も覚悟の上で、個人的メッセージと断りながら、「立ちすくむよりここに来ること、目をそらすより見つめること、沈黙することより語ること」を選び、世界に向けて発信した。そこで発せられた言説は現役政治家にはできない、一人の表現者として取りうる一つのスタンスだろう。
私はけっして彼の良い読者でもファンでもないが、今回、チャプリンの「独裁者」のシーンや、ジョン・レノンのメッセージなども、つい連想してしまった。そのような既視的なある種の懐かしさを覚えさせつつ、今の時代性を感じさせるのは、彼の文体のなせる技(マジック?)かもしれない。ひょっとしてノーベル賞でもとったら、先人たちのように世界中の人々にいずれこのメッセージが広く受け入れられ、伝説化していくことになるのだろうか。

(追記)
今回のメッセージが、イスラエル(ユダヤ)の人々にどのように受け取られたのかにも興味がわく。一神教的な、ものごとのエッジを極端に際立たせる気質の人々にとってどう感じられたのだろうか。メッセージ中の、村上の父親の仏教的な祈りのエピソードは日本人には馴染み深いものだったが、多分、この曖昧さを批判的に捉える人もかなり多いだろうと想像する。
このあたりの感受性や思考性の根源的な違いは、私自身の制作観の中でも大いに気になっている点だ。いずれ、私の個人的なイスラエル体験(1995年に一度訪問した)のことも含め、何かの折りに追跡して記してみたい。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

想像力の芽生え

最新の考古学、言語学、脳科学などの研究成果で、「言語の発生」はかなり古い時代らしいということが推測できるようになった。それによると、ホモ・サピエンスが出現した約12~15万年前という従来の説よりさらに数十万年も遡るという。少なくともネアンデルタールは言葉を使っていたことは確実らしい。アウストラロピテクスの時代(約400万年前)まで遡る説もでているくらいだ。

言葉を使えるようになったのが、身振りから単語へ移行していったのか、唄のような音楽的な発声が言語化していった結果なのか、その推移を想像することはスリリングで刺激的だ。パフォーマンス(アートとしての)について考えるときにも、避けては通れない基礎演習のようなものだ。答えが出ない深遠な問いかけとして。

府中に友人の個展を見に行くついでに、ふと思い立ち、多摩動物公園へ足を伸ばした。お目当ては霊長類。サル、オランウータン、チンパンジーを久しぶりにじっくりと観察してみた。

3歳の子どものチンパンジーが、自動販売機にコインを入れ野菜ジュースの缶を取り出す。(他の大人のチンパンジーはこれを覚えないらしい。『100匹目のサル』現象とは違う状況だ。)まあ、これだけなら不思議ではない。凄いのは、その自分の行為が、周囲の仲間たちにどのように影響を及ぼすかを想像しながら、取り出すタイミングを選択しているらしいことだ。自分だけがゆっくり飲めるように周囲に誰もいない時を見計らって取り出すのだ。つまり未来を予想し、現在の行動に結びつけているということ。

もう一つ、これもやはり若いオランウータンが、日向ボッコをしながら、段ボール箱、コップ、チリ取りなどで延々と戯れている。特に、段ボール箱を広げたり閉じたりしながら、自分が籠る空間を様々な形で囲おうとしているの様子に眼を見張った。周囲からは「ホームレスみたい」などど声が上がっていたが、明らかにあれは人の「遊び」の感覚、あるいは造形(破壊)感覚につながっているように感じられた。あれがオランウータンでなくヒトだったら、ほとんどパフォーマンスの表現だ。

仮に、「言語の発生」と結びつけて、想像力の働きについて思いを巡らせてみる。
京都大霊長類研究所の有名な「アイ」と「アユム」の親子チンパンジーの例もあるが、私が思うのは、個々の断片的な能力の高さが重要ではないだろうということ。つまり、意味のある一つの単語として言葉が口に出せたかどうか、単語の意味が理解できたかどうかよりも、それらを意味ある文脈として組み合わせ、かつ、意味のリプレイス(意味を置き換え、類推する)ができたことが、想像力の働きを伸ばしたのではないか。
例えば、「白い雲」は「白い」と「雲」がふつうに自然な意味としてつながる。しかし、これが「白い気持ち」とか「悲しい雲」などといったようにリプレイスされるようになった時に、ヒトの言語的想像力がジャンプしたらしい。身の周りの時空の中の、一見、無関係なものごとを斜めに交差するように結びつけてしまうこと。それが想像力(言語に限らないが)の顕われの特質と言えるだろうか

最近、ヒトの社会では、このような想像力が衰退してきているのではないかと思える現象が増えているように感じる。ヒトは言語を使うことによって、飛躍的に知性を中心とする能力を伸張させたが、一方で、こころと考えの乖離という避けられない深い溝、矛盾を抱え込んでしまったのも宿命として受け入れなければならない。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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