東京都美術館で開催される、「精神の〈北〉へ」vol.7 のポスターです。
どうぞ、お越しください。
妻の芳子が2012年から続けているプロジェクト、「精神の〈北〉へ」(vol.7)に参加します。
今回は、福島の西会津で滞在活動した後、第6回都美セレクション展のグループ展として、東京都美術館でも連続的に開催されます。私はインスタレーションとパフォーマンスを発表します。
スケジュールの詳細は、以下のリンク先とチラシをご参照ください。
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精神の〈北〉へ - かすかな共振をとらえて
2017.5/27(土)西会津国際芸術村
2017.6/9(金)~6/18(日)9:30-17:30 会期中無休 入場無料
東京都美術館 ギャラリーA 第6回 都美セレクショングループ展
丸山常生 パフォーマンス:
6/10(火)14:00〜
6/16(金)17:30〜
6/17(土)14:00〜
大学時代の友人5人による銀座の画廊でのグループ展です。
私はドローイングの小品の展示と、テーブル上の小さなインスタレーション+パフォーマンス(下記の日時で2回公演)を発表します。どうぞお越し下さい。
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「散策展」
2017.5/15~5/20
11:30-19:30(最終日は17:00まで)
うしお画廊 〒104-0061 東京都中央区銀座7-11-6 イソノビル3F →ウェブサイト
tel.03-3571-1771
オープニングパーティー 5/15(月) 17:00〜
丸山常生 パフォーマンス(20分ほどのショート・アクション 無料)
“Transition” part.1 : 5/16(火)18:00〜
“Transition” part.2 : 5/19(金)18:00〜
地図
昨年11月に既に観たラスコー展、ちょっと気になることがいくつかあり、再び出向く。その間、書庫の旧石器時代の芸術関連の書籍やビデオをざっと当たり直し、最近の研究もいくらか調べ、自分なりの着眼点を整理して行く。
もちろん研究者ではないし、単に自分自身の制作観から派生した個人的興味に過ぎないが、ざっくり言うとイメージ(もしくは幻覚)と場(例えば洞窟の形状など)が、どう密接に関係づけられるのか、ということの自分なりの再確認。
真っ暗な洞窟の中のランプの揺らいだ光で浮かび上がる岩の凹凸や自身の影、さらには反響音も想定しながら、クロマニョン人の心の中に分け入ることが肝要と思うが、これは文献や写真だけではもちろんカバーできないし、あの場でどのような体勢・方法で描いたのかということ等も、その場に立たなければなかなか想像できない。会場の見事なレプリカも、そのためのほんの僅かなとば口にしか過ぎないが、現地で体感できぬのならこれがせめてものチャンスというもの‥。再度観て、感じ、得たものはそれなりに多い。
これらの類いは昔から興味があり、そこそこ関連資料がでてきた。全てのページに眼を通すことはしないが、斜め読みで再読。以前読んだ本は内容をほとんど忘れている。この分野、科学的新事実の検証以外は永遠に正解は出そうもなく、昔の本でも充分面白い。
ここのところ、昔の作品の記録(フィルム)をスキャンしデジタルデータ化する作業を少しずつ進めているが、とてつもない時間がかかっている。デジタルの記録に主軸を移した15年くらい前より以前の、25年分ほどの記録のネガやポジをチョイスしながらスキャンして行く地道な作業。
次の新作を構想したり制作しながら、以前の作品の画像を掘り起こし記憶を蘇らせ、今の想いと重ね合わせることはそれなりに楽しいのだが、単純作業の繰り返しはけっこうきついものがある。このペースだと優に2年以上かかってしまいそう!
そんな折、虎の子のフィルムスキャナが故障。幸運にも今年の夏までは一部の部品交換は可能とのことで、直ぐにNIKONのサービスセンターに持ち込み、修理依頼。常用している一眼レフのレンズも全く同じタイミングで故障したので、一緒に修理を決断。
見積もりで出された思わぬ高額の出費にため息をつきつつ、窓から新宿の風景を見下ろす。
昨日、久しぶりに東京湾岸エリアを散歩した。
所用で行った有明地区から、今話題の豊洲市場を通過、さらにその先、銀座まで晴海通りを歩く。
埋立地は、1980年代から20年ほど頻繁にフィールドワークをし、多くのインスピレーションの糧を得たものだ。21世紀になり、商業地区が開発され、マンション群が建ち並ぶようになり、いわゆる普通の都市化が進んでからは、あまり行かなくなってしまっていた。
豊洲市場の雰囲気は、原発事故による立ち入り禁止区域をちょっと思い起こさせた。半ば人災による愚かさの象徴として、ここも別種の原発立地のような、同じ構造を持っていやしまいか。でも、ここはあっけらかんとした明るい空虚な廃墟。いつまでこういう物を日本人は生み続けてしまうのだろう。私たち(の文化)が抱え込んでしまったある種の病理的な精神構造を思わずにいられない。
これから2020年まで、この辺り、何かと喧しくなるのだろう。再び、足を運ぶようになる気がする。東京オリンピックによって生じる様々な陰影・闇・歪みに視線が否応なく引き寄せられていく‥。一種の負の遺産によってインスピレーションが掻き立てられてしまうというのも、私自身のある種ダメな性(さが)ともいえようか。
補)
下の写真は、ちょうど30年前の1987年の有明地区界隈。
現在の有明医療大学辺り(現有明2丁目)から南西方向を臨む。右奥に旧有明コロシアム、さらに先に船の科学館がわずかに見える。左から右奥へ斜めに横切る湾岸道路の向こう側は、現在のビックサイト辺り。
手前に広がる緑地帯は、1988年にときわ画廊での個展で、いろいろ撮影したり、採取したり、仕込んだりした場所。