2017-01-19
豊洲散歩_2017.0119
昨日、久しぶりに東京湾岸エリアを散歩した。
所用で行った有明地区から、今話題の豊洲市場を通過、さらにその先、銀座まで晴海通りを歩く。
埋立地は、1980年代から20年ほど頻繁にフィールドワークをし、多くのインスピレーションの糧を得たものだ。21世紀になり、商業地区が開発され、マンション群が建ち並ぶようになり、いわゆる普通の都市化が進んでからは、あまり行かなくなってしまっていた。
豊洲市場の雰囲気は、原発事故による立ち入り禁止区域をちょっと思い起こさせた。半ば人災による愚かさの象徴として、ここも別種の原発立地のような、同じ構造を持っていやしまいか。でも、ここはあっけらかんとした明るい空虚な廃墟。いつまでこういう物を日本人は生み続けてしまうのだろう。私たち(の文化)が抱え込んでしまったある種の病理的な精神構造を思わずにいられない。
これから2020年まで、この辺り、何かと喧しくなるのだろう。再び、足を運ぶようになる気がする。東京オリンピックによって生じる様々な陰影・闇・歪みに視線が否応なく引き寄せられていく‥。一種の負の遺産によってインスピレーションが掻き立てられてしまうというのも、私自身のある種ダメな性(さが)ともいえようか。
補)
下の写真は、ちょうど30年前の1987年の有明地区界隈。
現在の有明医療大学辺り(現有明2丁目)から南西方向を臨む。右奥に旧有明コロシアム、さらに先に船の科学館がわずかに見える。左から右奥へ斜めに横切る湾岸道路の向こう側は、現在のビックサイト辺り。
手前に広がる緑地帯は、1988年にときわ画廊での個展で、いろいろ撮影したり、採取したり、仕込んだりした場所。
関連記事