遍在する場/偏在する場
被爆70周年を考える現代美術展 RING ART P&L 2015
長崎歴史文化博物館でのインスタレーションとパフォーマンス (8/2)について
タイトル:『遍在する場/偏在する場』
“The ubiquitous area / The unevenly area”
砂利、テーブル、椅子、水、その他
展覧会自体の明快なテーマ性に付随し、長崎の土地と時間を密接に関連づけた作品。
下見の折り、この場(約40m×3.2m ×h7.4m)に敷き詰められた砂利の数を、約300万個と推計したことから発想を展開。この数は第二次世界大戦の日本人戦没者数(民間人+朝鮮・台湾人日本兵含め、一般的に約310万人とされる)とリンクする。少々不遜ながら、初めにこの場の砂利をそう見立てさせていただき、抽象的な記号の数字を具体的に実感できる場の視覚化を設定した。
もう一つ、個人的な制作上のポイントは、戦災地としての長崎で、時と場所を隔てた一介のアーティストが、世間一般に向け、これ見よがしに訴えかけるというありがちなメッセージ性に陥らない距離感の確保。なぜならこの作品(特にパフォーマンスの時)は、具体的にこの地で、今を生きている人々に向けているのだから。今の時代、このタイミングで、何故ここでこの作品を提示するのか、自分なりの根拠が必要なのだ。
インスタレーションを制作中、幸運と言うべき偶然の作用があった。下に除草シートが敷かれている厚さ5cm程の砂利の隙間から、ごく小さな若葉が芽生えているのを発見したこと。この若葉をとり囲むように白い玉砂利を撒いた。当初の全体の展示プランからは変化したが、こういうこともありだ。また、灼熱の日差しと建物が織りなす光と影の作用にも助けられた。それは、事前にある程度計算していたとはいえ、パフォーマンス時のタイミングのよい天候とともに、作品にある種のリアリティと深さを付与してくれた。
パフォーマンスでは、世界各国の第二次大戦の戦没者の数を淡々と読み上げる。しかし、それでも原爆による犠牲者の方々は、この地では特別だ。該当する範囲の砂利を除けながら移動し、さらに現在までに集計された戦没・犠牲者と核弾頭数なども壁に水で記していく。みるみるうちに壁に滲み込むように蒸発し消えていく。水が「あの状況下」で特別な意味を持っていたことは良く知られていることだ。弧を描くように壁に向けて散水し、やがて地面に流れて行く‥。
いわゆるパフォーマンスらしい行為は、傘を用いた辺りか。傘は様々な象徴性を帯びている時々用いるアイテムだが、ここでは現政権の政策に対して皮肉な意味が込められた。「核の傘」。アメリカの核の傘の元で進められる威勢の良い「積極的平和主義」の欺瞞性を暴くことは、被爆70周年を迎えるこの地で行なう意義はあると考えた。観ていただいた方々がそれを察するかどうかはわからないし、別の感覚を誘発させたかもしれない。もちろんそれはそれで良い。
(Facebook 投稿より)