戸籍と家系
先頃、とある理由から母方の戸籍謄本を見る機会があり、江戸晩期~明治期の家族状況の一部を伺い知ることができた。代々、母方・父方とも北信地方で暮らし、地域の中で縁戚関係があり、東京で生まれ育った私にとって幼い頃は双方の親戚が複雑にまたがり、関係がよく理解できなかったので、あらためて再整理し自己流で表にしてみた。(図はぼかしているが、一番右の紫の枠が私で左に向かって世代が遡る)
例えば、父の兄弟姉妹(明治–大正期)は11人おり、そのうち2人は早逝、2人が実家で農業、4人が養子と奉公に出され、2人が職業軍人、1人が放蕩(!)という人生のスタート。一方、母方は商家で、政治家になった人物がいたり、生糸貿易の仕事を始めたりと社会的に幅広く活動したらしい。ちなみに文化・芸術系は、この表の範囲で見当たらず。(現在ヨーロッパ中世美術史学者で著名なK氏は、4世代くらい遡ると縁続きらしいが、ほとんど関係ない。)
今の朝ドラ「花子とアン」の時代背景は、ちょうど祖父母の代にあたる様子が描かれているが、自分の家族史の行間から伺える生活と、日本の富国強兵や殖産興業の時代が重なるところがあり、特に、農家の家族関係とか伝導行商のことなどは興味深い。わずか1~2世代で社会や物事の考え方に大きな変化が生じたことにあらためて驚かざるを得ない。
ともあれ、家系というのは取り扱いが厄介なもの。私にとっては、歴史の一コマの中に身近なリアリティーを感じる材料としてだけで充分だが、先頃の皇族と出雲大社の御曹司の婚約発表はえらくアナクロで奇妙な扱われ方だった。個人的に矜持をもつのは勝手だが、ほんの数世代も遡れば、個人の血筋など様々なDNAの海の中に溶け込んで行ってしまうことが分かるはず。それを神話化された父系の一部の系統としてのみ、誇らしく扱ったり敬ったりする態度はいかがなものか。これも悪しきナショナリズムの再稼働の一端としか思えない。どうせならもうちょっと広く人類学的な視点で東アジアにおける縁戚関係まで想像を広げ、友好の証しとして使ってもらいたいものだ。