空いたスペース
今日が今年の始動日。
板橋区立美術館に『池袋モンパルナス展』を見に行く。別件で、再来年2014年に、当舘からある企画の相談を受けており、その事も兼ねて館長の安村さんや、企画担当の弘中さんにご挨拶。
展示は好企画だった。
1930年代~40年代にかけて、現在の池袋駅周辺一帯に建てられたアトリエ付き住宅や酒場に集った画家、詩人、評論家、演劇関係者たち。その中の一人である詩人の小熊秀雄が残した「池袋モンパルナス」という詩とエッセイにこの名称は由来する。
その多くが反骨精神に溢れ、いわゆる不逞の輩(ふていのやから)達。パリのモンマルトルとモンパルナスの対比と同様、高台にある上野の文化的権威に対し、西の窪地の池袋界隈という逆説的矜持がその命名にも現われている。このような形で文化的にクロスオーバーした地帯は、当時、世界的にも珍しかったという。
画家達の残した作品は、オリジナリティーや様式選択の一貫性を価値基準とする西欧モダニズムの視点から見れば確かに物足りない面もある。若い頃の見方だったら、靉光や松本竣介など一部の画家たちを別にすれば、多くの画家の、セザンヌ風やフォーヴ風、そしてシュールレアリズムなどを無節操に取り入れたかのようにみえる展開は、おかしいと感じたろう。というか、そう考えていた。
しかし、当時、極端に言えばフランスやイタリアなどの芸術大国以外の国々(アジアのみならずヨーロッパの周辺国も含め)では、そのような受容と自国の文化的状況の間で、芸術家達は皆同じように葛藤していた。日本だけの現象ではなかった。
だいぶ前に中欧や北欧諸国の美術館でその国々の近代美術の展開を見て以来、次第に考え方の幅は広がって行った。そのような周縁国の芸術家は、いわゆる西欧モダニズムのエリート主義に合わせる必要などないし、それぞれのやり方で模索、展開していた。それはそれで充分に魅力的だった。
さて、今日あらためて感じたのは、そのような様式の新しさや追求といったモダニズム史観の功罪よりも、彼らの当時の社会の中での芸術家としての生き方そのもの、そしてその精神的強さである。1930年代半ば以降、社会が暗い影に覆われた中、どれだけ自分達の創造性を発揮しようと踏ん張っていたかが作品や資料から感じられた。社会の風潮は、明らかに今の時代と重なる点が多い。閉塞感が漂い、階層化とそのひずみが露呈し、人々の心の中に漠然とした不安感が広がっている。
必然的に今の状況と比較し、そして自分を省みる。彼らの芸術に対する真摯な心性や、社会に対する発信意欲(どんなに制約を受けても)、時代精神に食い下がり芸術的想像力を掘り下げて行くエネルギーは、今よりも遥かに強かったのではないか? そして、個々がバラバラにならず切磋琢磨し、想像性を刺激し合い、互いに励まし合う共同体は、現在はどこにもないのではないか? そこに大いに見習うべき点はないか?
昨年来、日本にはある大きなスペースが空いたように感じる。そう、3.11が空けた大きなギャップ。そこに人々の新たなエネルギーを注ぎ込めるチャンスが来ていると考えてみよう。そのエネルギーの一端に自分の創造性を連ねてみよう。そう年頭に記しておく。前向きに。
(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)