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2010-08-31

我を忘れるために

今年の猛暑は、観測始まって以来の記録になりそうだ。

頭をひねって考えなければならない懸案が七つほど重なってしまった。優先順位の違いはあれど、なかなか進展しない。若い頃はもう少しテキパキと対応できたものだが、と焦ると、余計頭の中がオーバーヒート気味に。思わず、少しでもスッキリさせねばと、炎天下にも拘らず散歩に出てしまった。

散歩コースはいくつかあるが、今は頭を一度空っぽにしたい。家から北の方の街をしばらく放浪することにした。この辺りは、古い家屋あり、小さな街工場あり、商店あり、林ありのゴチャゴチャした地域。土地の起伏も激しく、自然の地形にそって細い道が曲がりくねっている。何の変哲もない所なのだが、何故か鋭いはずの私の方向感覚がここでは麻痺しやすい。土地勘を狂わせる磁場があるのだ。こういう時(つまり我を忘れたい)には、うってつけのコースだ。

さすがに人はほとんど歩いていない。暑さでただでさえ頭がボーッとしていることも手伝い、気ままに路地を曲がったり、坂を登ったり降りたり…。そうしているうちに、案の定、頭の中のGPS(客観的位置感覚)が狂い始めた。太陽の方向がすぐわからない空の狭さも都合がいい。次々と現れる思いがけない風景で前頭葉がリセットされ、身体の他の部位から不思議な感覚が次々に立ち上がってきた…。

はるか昔読んだ、つげ義春の漫画がふいに思い浮かぶ。ゴミゴミした古い木造住宅が続いたせい? 水木しげるの漫画の一シーンも出てきた。

…と、サルディニア島でやはり炎天下の中、誰も人がいない街路をのんびり一人で歩いた記憶が突然よみがえる。キリコの絵画のようだった。あの時は雲一つない真っ青な空でくっきりと影が伸びていた。

しばらくすると、なぜかピラネージの牢獄の絵を連想。これは意外。古びた外階段が多い工場のせい? あるいは坂道で顔を上げたり、隙間なく並んだ家屋を見下ろしたりしたから? 奇妙な圧迫感があるが、気持ち悪くはない。

‥‥さらにさまよっているうちに、ふいに、かつて一時的に借家住まいをしたことがある跡地に出た。ああ、ここか。ようやく我に返る。

気づけば、大して広くない範囲を1時間半近く彷徨していた。公園のベンチでお茶を飲みながらしばらく佇む。怪しげにボーッと歩いているおじさんを自ら想像したら、ほとんど徘徊老人と変わらないじゃないか。つい、苦笑いが出た。

でも、いつの間にか頭の中はスッキリしていた。とりあえずは…。また、この後ひと踏ん張りするか。

それにしてもなぜピラネージの風景だったのだろう?

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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