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2010-01-10

25年前の伝言

言葉の力に鼓舞され、学生時代に戻ったような気分になった。

1984年5月から6月にかけてJ・ボイスが来日した時の8日間の記録ビデオ(水戸芸術館・”Beuys in Japan”)を見てのこと。編集されているとはいえ、どの場面でも彼は真剣な表情で何かに憑かれたように語り続けていた。時には般若の面相も思わせた。断片的なフレーズからでも、常に本質的なことを言っていると思わせる切迫感が画面から伝わる。

伝説化していた彼が初来日した当時、私は結婚した直後で何かとせわしかった。「ついに来たか」と思いつつ、様々なイベントには行けず、西武美術館での展覧会を見ただけ。興味はもちろんあったが、巷でよく評されていたように、彼の年来の主張と矛盾するかように、なぜ西武の資本でホイホイと展覧会などしに来たのかと、私も少々皮肉混じりに日本での彼の情報に接していたのを思い出す。

しかし、今回のビデオの中の彼の語りをトータルで聞いて、ようやく腑に落ちた。彼はたった8日間の中で実にエネルギッシュに動いていたのだ。常に目の前にいる人と真剣に対話するために。そして彼が語った来日の経緯や活動のあり方は、今の時点で聞けば至極正当だったといえる。彼は皮相な見方で批判(あるいはやたらに賞賛)していた日本人よりはるかに大人だった。

ようやく日本人の時代意識が彼に追いついてきたのだろうか? 当時はまだアーティストの多くが無意識のうちに硬直的なイデオロギー対立や個人的美意識の拡張の範囲の中に取り込まれていたと言わざるを得ない。たとえ、そんなことはないと突っ張っても、やはりそうだったのだ。彼の主張を頭で理解できても、切実なものとして受け止められた日本の美術関係者は数少なかった。
日常、非日常、生活、社会、資本主義、価値観、自由、想像力、変革、そして芸術…、様々な言葉が次々と解き放たれ、一人一人の人間のもつ創造力があるべき社会(という彫刻)を生み出していく。その人間はみな芸術家である、その人間の自由こそが真の資本なのだ、という概念へと集約していく。学生時代に、断片的な情報で向き合った思考回路が蘇る。そして、自覚的にも無自覚的にも彼の精神的影響を受けていたことにあらためて気づく。

このビデオ群では、当たり前のことだが、字幕翻訳で彼の表情や仕草と同時に内容を把握できたのが新鮮だった。ラングとしての言語でなく、パロール(発話)の力が伝わってきた。(日本流で言えば言霊の力か。)活字の言葉では伝わりきらない息づかいやエネルギーの響き。アクションの力ともいえよう。’60年代のデュッセルドルフのアカデミーでもこのように語っていたのだろうな。

これらを単なる理想論、ユートピア思考というなかれ。仮に、彼の理想通りにはこれまで世の中が動いてこなかった、あるいはこれからそうならなくても、21世紀の今、彼の伝えようとしていたメッセージ(問いかけ)のリアリティーは色あせることはない。いや、もっと更なるリアリティーを伴って再評価されるだろう。
彼は、切実な表情をしながら「私には時間がない」と言っていた。古い友人や業界の人たちと世間話しするような時間はない、と。あの切迫感はここからだったか。そう、この僅か1年半後に彼はこの世を去った。

忘れかけた25年前の大切な伝言を聞いている感じがした。それは当時を知る私だけでなく、彼を名前でしか知らない若い人たちにとってもそうだったかもしれない。この奇跡的な企画(ビデオの所在を探すのに大変だったらしい)を実現させた学芸員の方の努力に感謝したい。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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