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2010-01-01

On the Planet

2010年。明けましておめでとうございます。

2001年の同時多発テロに始まり、グローバリゼーションの荒波に揉まれた「ゼロ年代」。私たちは次の「’10年代」をどう過ごすことになるのだろう?
今から思えば、私たちの世界の構造的変化は、’90年代半ばあたりから本格化していたことがおおよそ把握できる。なぜかの分析はここではしないけれど、多分、同様に感じ取られる方々もおられるのではないだろうか。

さて、この写真。初日の出ではない。
昨年末、作品資材を倉庫に運び入れた帰途、東北自動車道の下り線で撮ったもの。南西方向の低空を滑るようにゆっくり沈んでいく夕日を、進行方向に向って走行しながら1時間以上視界にとらえ続けた。時折、冬の柔らかい陽射しが路面を正面から照らし出す。光の中に地平線がとけ込む。自らも光に包まれる。オレンジ色の光の帯の上を滑走しているようだ。

“On the Planet”。こんなフレーズが脳裏に浮かんだ。一惑星上で活動するささやかな生命体の原初的知覚のようなものが発動する。あるいは宇宙飛行士が覚醒する感覚とも言えるだろうか。この感じ、このような偶発的な体験によって繰り返し私の中で生じる。最近の私の作品を見ている方は、なんとなくお分かりになっていただけるかも知れない。

こんなこともあり、年が明けて2001年と2010年を頭の中で併置したら、アーサー・C・クラークを思い起こした。もちろん彼のSF小説(と映画)からの連想だ。そして初期の傑作『地球幼年期の終わり』で驚かされた宇宙観と人間観も蘇る。
2001年を迎えた時もそうだったが、2010年なんて中学時代にアポロの月面着陸計画を熱狂的に追いかけていた身にとっては、地続きの未来のようでありながら、実は茫洋とした遠いSF的未来像として遥か彼方に感じていた。同時に、多くの人々が宇宙に進出しているだろうとも楽観視していた。だって、ライト兄弟が初飛行してから、人類が当たり前のように地球上を旅客機で移動できるようになるまでのタイムスパンの短さを思い起こせば、そうであっても不思議ではなかった。
しかし、人類が月面に降りてから40年以上も経ってしまった。思ったより現実は早く進行していない。「かつての未来」にたどり着いた今でも、まだほとんどの人々がこの惑星の重力圏の元にある。若田さんや、先日長期滞在で宇宙ステーションに旅立った野口さんのような人はいまのところ特別だ。

片や、この10年間で、かつて夢のように思えた事態も現実的に進行してきている。インターネットによるコミュニケーションの飛躍的拡大など、40年前から見れば、SF的世界が実現化されていると言えるだろう。地球そのものが脳のようにネットワークでくまなくリンクされたのだから。
そして、地球温暖化問題。世界大戦や核問題などとは異なる次元で、全人類が自らの生存をかけた会議を開き多くの人々が関心を払うなんて、あらためて振り返るとすごいSF的展開ではないか。ハリウッド映画ではなく現実なのだ。

ところが、先月の”COP15″では、期待された1997年の京都議定書以来の国際的合意はできなかった。私たちホモ・サピエンスが、今後もこの惑星の住人として存続させてもらうに相応しい想像力と行動力を、未だ持ち合わせていないことを露呈した。
当分、私たちの存在は地球という重力(とその恩寵も含む)を抜きには語れない。その作用の内で太古の時代から変わらぬ「生老病死」を繰り返すのだろう。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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