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2008-12-21

サヴァイバル

世は「100年に一度の危機」にあるらしい。

ここ数週間で、世の中のニュース、世評など、ますます浮き足立ってきている感がある。
かつてのように、この機に乗じて「革命だ!」と叫びだす者もいるかと思いきや、グローバル資本主義が一人勝ちしてきた後の荒涼とした風景の中で、さすがにそんな時代錯誤な輩は日本ではいそうもない。でも、これから新たなサヴァイバルの時代が始まるのだろうか?

サヴァイバルの達人とでもいえそうな、一人のアーティストの作品を見てきた。

ガイ・ベンナー (Guy Ben-Ner)。イスラエル人。
彼の作品があるというので、水戸芸術館で『ツリーハウスキット』(Treehouse Kit, 2005, インスタレーション+ビデオ)、『スティーリング・ビューティ』(Stealing Beauty, 2007, ビデオ)、『ハウスホールド』(House hold, 2001, ビデオ)の3作品を見た。
これらの作品は、抱腹絶倒、ユーモアにあふれたスラップスティック的(バスター・キートン風)なストーリーで仕立てられた「サヴァイバル劇」だ。家族も登場する。

『ツリーハウスキット』は、ロビンソン・クルーソーのように漂着した人間に扮する彼が、樹木に見立てた木材を、まさしく生活に使える家具(ベッドや椅子など)として再構成していく。最後のオチ(家具のガタつきを直すために、家族写真をひょいと脚の下にはさんでしまう)も効いている。

『スティーリング・ビューティ』は、世界3カ国のイケア(IKEA)のインテリアショップでゲリラ的に撮られた映像作品。値札がついた商品として陳列されている空間で、あたかも自分の家の中であるかのように過ごしながら、夫婦や親子間で、私有財産、家族、愛など普遍的な問題についてきわめて真面目に語り合う。最後に子どもが宣言するマニフェストもいい。

『ハウスホールド』は、サヴァイバルの極めつけだ。ひょんなことから二段ベッドの下部に、檻に入れられたように閉じ込められた身一つの彼が、自分の身体の様々な部位や機能を使って脱出を図る。指を切断したり、伸びた足の爪、ワキ毛までも使ってしまう。あげくの果てには精液や小便まで登場。まいった。お見事なパフォーマンス!

彼を初めて知ったのは、私が2005年にイギリスで作品を発表した時。現地の友人がヴェネチア・ビエンナーレで『ツリーハウスキット』を発表していたガイ・ベンナーを見ており、「面白いよ」とカタログで紹介してくれた。たまたま、その時に素材として使っていたのが同じ家具(IKEA!)の部材だったからなのだが、写真だけでは分からなかった。帰途、ヴェネチアに立ち寄った時は、イスラエル館が閉館中で残念ながら見られなかった。
それから何となく気になる存在だったのだが、2007年、ミュンスターの彫刻プロジェクトで見た作品、 “I’d give it to you if I could, but I borrowed it”の秀逸さに感心した。会場に実際にあるデュシャン、ピカソ、ティンゲリー、ボイスらの有名作品を部品として自転車を作ってしまい、街中を家族で走り回るというもの。サヴァイバル感は薄いが、美術史的な批評性と日常の生活感覚をユーモアで飄々と結びつけてしまう手腕は見事だった。
今回、『ツリーハウスキット』を見て、全く自分とテイストが異なるのでちょっとほっとしたが。

さて、彼の作品中のサヴァイバルが、今の「100年に一度の危機」とやらに現実的に有効かと問えば、間違いなくNOだ。だってアートだもの。
しかし、彼の圧倒的な批評性と時代性を兼ね備えた諧謔(かいぎゃく)の精神は、サヴァイバルに必要な何か大切なヒントを与えてくれそうだ。経済的に勝ち抜くことだけが目的ではないし。そう、負けなければ良い、というくらいの気分で想像力と知恵を働かせること。そのバイタリティーの栄養分にはなるのではないか? 何より自分の生活感と密着しているところが良い。アートは、革命を叫んだり、テロに走らなくてもこんなことができる。

放浪の民の伝統か。イスラエリー(Israeli)ならではのしたたかさとラディカルさが、笑いの後からジワーッとこみ上げてくる。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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