秋の気配から
一昨日の9日、倉庫から制作用の各種素材を運び出す。
写真は、その折、那須の山々を見はるかす夕焼け空を撮ったもの。雲は秋の気配を漂わせる。
空を見上げながら、何故か、5日に亡くなった緒形拳のことが頭をよぎった。津川雅彦が看取った時のことを語っていて、そのことが不思議と印象に残っていた。臨終の間際、歌舞伎役者のように虚空を睨みつけながら、静かに息を引き取ったと。
最期に何が見えていたのだろうか。何を見ようとしていたのだろうか。
私などが言うまでもないが、彼は他に替え難い存在感をかもし出せる役者だった。小学校の頃、初めてNHKの大河ドラマを見続けたのが、彼が主演した「太閤記」だった。翌年の「源義経」の弁慶役も印象深い。脚本(物語)の面白さとか、ある断片的なワンシーンなどではなく、「役者そのものの存在感」を子ども心に刻み付ける力をすでに彼は持っていたのだろう。
その後は、大学時代に映画で見た「鬼畜」「復讐するは我にあり」「北斎漫画」、さらに「楢山節考」などの凄みのある演技の記憶が強い。ここ数日、追悼番組でいくつか最近の出演ドラマを見たが、激しさを発散させることから、なるほど、内省的な渋い味を出すようになっていたのだとあらためて感じた。しかし、それもかつての凄みがあればこその穏やかさであることは間違いあるまい。
自分の制作活動に直接関係ないことをなぜここに記すかというと、緒形拳は高校の先輩なのだ。面識はない。たまたまそれだけのことなのだが、妙に気になる存在だったのだ。
そして、今夏、その高校の寮に三十数年ぶりに顔を出した折りに、彼と近い70歳前後の同窓の先輩方と語らう時間が少しあった。おおざっぱに言うと、戦前生まれで、団塊世代のもう一回り上、60年安保世代周辺の方々だ。ずいぶんと面白い話を聞くことができた。新鮮だった。そうか、この世代の方々の経験や生き方もなかなか魅力的(結構、破天荒な生き方をした人が多い)だと感じた。もちろん、近しい世代だからといって、一人一人の体験や考え方を十把一絡げにすることはできない。しかし、そのとき受けたその時代や世代の生き方の感触や印象は、緒形拳だって全く無関係だったのではなかったろうと自分勝手に推測する。
歳のとり方を思う。
彼は、内面に沸々と激しいものを抱えながら、“好好爺”然とした雰囲気を絶妙に演技できるようになっていった。(笠 智衆とは違う味だ。) 生身の彼はどうだったのだろう? 最期に見たものは激しいものだったのか? あるいは、秋の空のように澄んださわやかなものだったのか? それとも、全く別の世界だったのだろうか?
(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)