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2008-07-08

私にとっての80年代

私にとっての80年代(特に前半期)は、本格的に活動を展開し始めた時期。先の「絵画・彫刻への回帰」現象そのものを否定はしない。ニューペインティング現象も席巻したし、関心がなかった訳でも無論ない。しかし、自分にとっては「形式」に収斂していくよりも、表現の現場というべきものをいかに拡張していくか心を砕いた時期だった。(その辺りの簡単な経緯はこちらを参照) それはもちろん、先行する6~70年代における、ジャンルの解体とかメディアの拡張といったムーブメントとは性質が異なるものだ。
あえて、当時の私のキーワードを対比的にあげるとすれば、「インスタレーションとパフォーマンスへの展開」となろうか。どちらもカタカナ言葉で、今、その移入~受容~変遷の過程を振り返ると、この用語を併記するのに少々こそばゆい感じはするが…。しかし、これらにはそれなりの目映さがあった。

パレルゴン以外の神田周辺の諸画廊(真木画廊/田村(新田村)画廊/駒井画廊/ときわ画廊/秋山画廊/等々‥)にも、活動のバックボーン形成においていろいろお世話になった。無論、これは私だけのことではなく、他の関係者も同様だろう。時代の検証のためには、まず、当時の記録がきちんと日の目をみる必要がある。まだそれにはほとんど手がつけられていないし、今後の大きな課題だ。例えば、私は2003年にパフォーマンス・アートを検証する企画を行ったのだが、その時、残念ながら画廊などで個人的に行われていたパフォーマンスの記録資料をほとんど集めることができなかった。公正な機関を中心として、当時の関係者の方々はもちろん、若い意欲的な研究者の積極的な介在を望みたいが、現時点ではなかなか困難だろう。

話が少し逸れた。
私自身は、仮に、歴史化される当事者の立場になったとしても、作家として、現在進行形の自分の活動を続けていくほかはないと思う。当たり前のことだが‥。その上で、自身のこと、状況体験をノスタルジーに浸ることなく、修正主義的になることもなく、できるだけきちんと語る(言語化する)ように努めたい。それが、実は容易ではないということも承知しているつもりだが、このウェブサイト上の作品記録や文献資料なども、その中のささやかな一貫としてご覧いただければ幸いだ。

作家は、一人一人異なる実感を同時代の状況に抱く。自身の実感が、他を含めた膨大な主観の束のほんの僅かな一つに過ぎないとしても、それはそれでよい。

(旧サイトの「活動記録」より一部抜粋して転載)

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